世間に馴染めない人によるブログ

世間に馴染めない人がおすすめの映画を紹介したり、世間の馴染めないことを書いたりします

ホラーにおける謎の解決と未解決、あとは転換とか

こんにちは!

前回の記事から1ヶ月以上空くんですね。ということは以前風邪をひいたイベントからそれだけ経ったということで、年齢と時間の流れる早さについての相関関係を認めざるを得ませんね。

月日の流れの早さを矢の如しとは言いますが、弓から放たれた矢には自らが切る風の流れしか刺激を感じられません。

しかし人間は考える葦でもあります。刺激がないなら作ればいいじゃない。今回の取り上げるのはそんな人類の発明品「ホラー」になります。(私の趣味の関係上映画の話が多くなることをお許しください)

 

各々様々な意見があるとは思いますが、恐怖は謎から来ると私は考えています。

例えば、知らないおじさんと自分の父親と、どっちかと一緒に一時間いなければいけないとなったとき、多くの方が後者を選ぶと思います。

これは、父親に関しては性格や、好きなもの嫌いなもの、ある程度の来歴などを知っていてその個人の全容を確定させることができる。

反対におじさんは温厚か、とても短気なのか、常識の有無その他なに一つ全容が知れず、プラスにもマイナスにも膨らませることが出来るからだと考えます。そして、容姿がとても気に入ったものでない場合、大概それはマイナスに働きます。

もしかしたら隣にいるおじさんは誰でもいいから痛めつけたくてしょうがないかもしれない、あなたのことを殺したくてたまらないかもしれない。

っていうか知らないおじさんと一時間ってなんだよ。もう援助交際になりますよそれ。

つまり、知らない=謎の未解決という状態が被体験者の想像を膨らませ、恐怖ととても相性がいいということです。

 

私は常々ホラーを見るときに怪異(幽霊や怪物)について謎が残っているととても嬉しく感じます。なぜなら前述した通り、全容を確定させることができないということは、自分側で怪異への恐怖を無限に増幅させることができるからです。

だからといって突然現れた怪異が登場人物全てを蹂躙して謎をすべて残して帰っていけばいいホラーなのか、というとそうではないですね。

何もない霧の写真を見せられて、「何かいそうじゃありませんか?」と言われるよりもそれらしいものを指差して「女の人がいるように見えませんか?」とある程度わかるように言ってもらったほうが怖さは上だと思います。

 

何が言いたいかというと、恐怖を増長させるためには謎を残さなければいけないが、物語としての完成度を高めるためには解決によるカタルシスを得る必要があり矛盾が生まれてしまうということです。

この問題を解消している(と個人的に思っている)手法を2つ紹介したいと思います。

 

まず一つ目は観客にリアルな恐怖体験を提供することです。

これはPoV(Point of Viewキャラクターが手持ちのカメラで撮影した映像や、主観映像を用いた映画の作り方)を始めとした「これは実際に起きたことを撮ったものなんだ」と思わせる作りです。ブレアウィッチプロジェクトや、クローバーフィールド、パラノーマルアクティビティーなど多くの映画で取り入れられている手法です。

ただ、これは特殊な手法(一般人の映像という体をとっているため)なので、前述したような、怪異が全てを蹂躙して謎を残して帰るような作りがどうしても大目になってしまいます(それはそれでクソ面白いし、私はめちゃくちゃに好きです)

そんなの嫌!という方のための、割とポピュラーな手法が次の二つ目になります。

 

二つ目の手法は目的の転換です。これはホラーゲームでよく用いられる手法で、例えばバイオハザードシリーズは死(=ゲームオーバー)によって薄まる恐怖の代わりにTPS(サードパーソンシューティング)ゲームとしての体験に目的を転換させます。

(※これに関しては以下の記事を引用していますので、詳しくはこちらを)

note.mu

 

これと同じことがゲーム以外(私の場合は主に映画)にも言えるのではないかと思います。

例えば長期シリーズで言えば、チャイルドプレイは殺人人形チャッキーに焦点をあてて、チャッキーの全容を把握できるようになった後もシリーズを通して作風を変えることで、動く人形に襲われる恐怖からコメディ路線への転換をしています。同様に、死霊のはらわたシリーズはアクションへ転換を果たしています。

一つの映画の中でも、例えばワンシチュエーションスリラーの傑作SAW1はジグソウとは誰か?被害者はどこか?といったサスペンスへと一作の中で姿を変えていきます(その後もシリーズは続くわけですが)

 

このように、ホラーはその性質上、対峙する怪異の全容を知ってしまうとそれへの恐怖の上限が決定されてしまう、しかし話を面白くするために解決によるカタルシスを得なければ物語としての完成度を落としてしまう矛盾やねじれを内包しながら成長してきたある種特異なジャンルになるんですね。

その問題へ作品はどのように対応しているのか、そんな風に見てみるとまた違った面白さが見えるかもしれません。この記事が皆さんのホラー体験の一助になれば幸いです。